20231005 遅れて知ること気づくこと

ずーっと思い込んでいたことが、何かを知って覆ることがある。

 

ノーベル賞は、小さい頃から、世界で最も偉大な学問的貢献をした人に与えられるものだと思い込んできた。が、オバマの時にクエスチョンマークがついた。平和賞はどうも違うようだな、と最初は思った。平和賞だから、科学的貢献とは違うし、政治的な意向も働くんだろうな、と。その後、北里柴三郎の話を知り、科学分野も昔から政治だぞとわかってきた。ちょうどその頃、ディランに文学賞。あーもうめちゃくちゃなんだ、勝手に決めてるんだと確信に変わった。だから、今回のカリコ氏ワイスマン氏医学・生理学賞受賞は驚かない。選んでいる側の価値観が、丸見えになる選考だろう。

 

学生の時に経済学はサミュエルソンのテキストで学び、需要と供給の曲線が交わるところで価格が決まるというイメージを持った。だからというか、円安で株が上がるのは日本車がアメリカで安く買えるようになるからだろうと想像していた。実際は、販売台数が減ったって、円がそれ以上に安くなれば、エンベースで利益は増えるから業績は上がるのだ。むしろそっちの効果の方がでかい。そんなことも、つい最近までわからなかった。

 

政治家は、なんで選挙の時しか街に出てこないのだろう。まさか投票者のことを忘れているわけではあるまいな、政治の場で忙しいのだろうな、モーレツサラリーマンのように、と思っていた時期があった。選挙民のことなどカケラも考えていないとは知らなかった。

 

消費税は、消費者が消費することにかけられた税だと思っていた。これは、つい最近までそう思っていた。ところが消費税法を読むと、消費者が負担せよとは書いていない。例えば入湯税の条文にお湯に入った消費者からお風呂屋さんが徴収して政府に納付せよと書いてある。納税責任が入湯者であることが明記されている。消費税はそうじゃない。売り上げが上がったら、その1割を政府に差し出せと書いてある。それを消費者に転嫁するかどうかは売り手の自由だと。知らなかった。これは実際のところは売上税だったんだ。じゃあどうして消費税と言おう名前にして、あたかも外税であるかのような表示がされているのはなぜか。消費者を騙して?納税義務が消費者にあるかのような錯覚を生み出すためではないか。そうして、実は売り手が、税額分を消費者に添加するのが「当たり前」という雰囲気を醸成しているのではないか。ドンキホーテでもニトリでもいいけど、消費税分は買い手に転嫁しませんとか言い出したら面白いのではなかろうか。

 

消費税といえば、ガソリン税で膨らんだガソリン価格にさらに消費税を上乗せするのは二重課税ではないかという指摘も目から鱗だった。確かに。しかし財務省の解答は、税の目的と趣旨が違うから二重課税ではないと。これはおかしい。財務省は頭が良い人の集団だと言われているが、この程度の言い訳しかできないくらい苦しい事案なんだろうなと思った。また、そういえば、我々は所得税も住民税も社会保険もガンガン抜かれて、つまり税引き後の所得で、ものを買うときに消費税が転嫁されるっていうのはそれこそ二重課税なんじゃないかとも感じる。この点、どうか。財務省に聞いても、目的と趣旨が違うからいいのだ、と言われるだろうが。