テレビや新聞で見る政治指導者や国王などの社会的なトップ層の人々の多くが、本人ではないとすると、やはりこれは何なんだ、となる。

 

そもそも選挙で選ばれたはずの人が別人に変わっていて良いはずがない。普通に犯罪だろうが、見逃されているということか。

 

黒澤明に影武者という映画があった。今も江戸時代と変わらない、ということか。

 

世界を操っている人々(爬虫類含む)がいるとする。自分たちの意のままに動く人物(爬虫類含む)を政治的トップにおこうと考える。候補となる人物がいるとする。ある時点でその人物を消し、その人物とよく似た人物にすり替える。そんなことができるのか?

 

影武者は独自の人生を歩んできただろう。記憶も交友関係もオリジナルとは違う。旧知の人と会ったときに話が合わせられるのか?そもそも誰が旧知だかわからないのではないか。それとも旧知の人を含めてそういうものだ(影武者がいる)ということを了解していて問題が起きないようになっているのか。

 

勤め先の上司が、なんとなく昨日と顔が違うな、と思ったとしよう。背が低くなったり高くなったり、黒子の位置が違ったりということに自分が気づいたとする。話していることもなんとなく要領を得ない。記憶違いもあるようだ。そんなことから、その上司は別人に入れ替わった、と思いつけるだろうか。実際にはなかなか難しいのではないか?「そんなバカなことがあるはずがない」という予見に支配されて成り行きを見守るのではないか。

 

まあいいや。しかしヒラリーなどの画像を見ていると、これはもう、何人もいるとしか思えない。世界はそういうものなのかもしれないと思うようになった。アメリカの有権者は騒がないといけない。本人を出せ、と。

 

さて、こういうグレーゾーンを見ていくと、やはりこの世界は変だ、と感じる。

 

が、影武者がいるぞ、とか、選挙の投票数数え上げに不正がありそうだぞ、とか、大した病気でもないのになぜか騒いでいるぞ、とか、危なそうな薬なのになぜか義務にしようとしているぞ、というようなことを多くの人が感じ始めたのがこの1年間だったことは間違いない。そこは白黒ではなくグレーで、グレーゾーンというものがあり、どうも黒も混じっている。だいたい先進国の半数の人間はそんな感覚を持つに至ったのではないか。注射してしまった人も含めて。