そういえば、マンデラを初めて体験したのは5月だったな。

 

大統領選でこの世はおかしい、と感じたのが昨年11月。十分に心の準備ができてのマンデラ体験だった。

 

似たような経験を経てきている人は多いのではなかろうか。

 

1年前は、全く違う考え方をしていた。選挙は正常に運営されており、何か不正があれば司法は取り上げてくれる。メディアもたくさんあるから、どこかが言論統制しようとしても一部で綻びが出るはずだから、大本営発表みたいなことは起こりにくいのではないか。さらに言えば、政治の世界は遠いから、そこで何か妙な動きがあっても自分の生活圏には及ぶまい、というような。それこそ「根拠のない」考えで頭の中は満たされていた。

 

そうではない、ということがわかってきた。

 

指導者の多くは本人ではない。彼らは国民のためには働かない、というか毟り取り、最後には一掃しようとさえしている。メディアも司法もそれを止めようとはしない。野党もグルである。そんな世界観が見えてきた。戦争も貧困もテロも自然発生ではない。誰かが意図してそれを起こしている。そんな構図がどうも何千年も続いているらしい。そんな考え方も荒唐無稽には思えなくなってきた。

 

繰り返すが、昨年の11月からの1年間のことである。こんなこと、以前は考えもしなかった。

 

そして、マンデラである。

 

1年前に問題が投げかけられ、半年前に回答が示されたような気がしている。

 

誰かが我々を誘導しようとしている、と考えてはいけないだろうか。非常に巧妙に、これからの人類の行く末を提示してくれている存在がいる、と感じることは間違っているだろうか。

 

仮に導いてくれている存在をゴドーと呼ぼう。ゴドーを待ちながら、という戯曲があったのでそれを拝借する。

 

ゴドーの考えはわからなくもない。彼(女?)は地上の支配被支配を越える存在で、ある意味で全能だから(つまりデータであり波動であるこの世をひっくり返すことは簡単)、戦争や貧困やテロをある日突然に一掃することも不可能ではなかろう。が、それを唐突に実行する道を選んでいない。