20240601 日比谷デモ

昨日、WHOパンデミック条約に反対する集会とデモが行われました。昼過ぎから日比谷音楽堂で主催者などによる演説を軸とした集会、その後に集まった人たちが日比谷公園を出発して都心を練り歩くデモ。ネットでライブ中継していたので、私はずっと見てました。4月の池袋のデモは2万人(だと思う)の規模でしたが、それを遥かに上回る人数。ざっと5万人くらいは参加したのではないでしょうか。ネットをいていた人も3万人はいたみたい。沿道で応援する人もすごい人数だったから、直接間接でリアルタイムに関わった人は私みたいなのも含めて10万人いたと思って当たらずといえども遠からずだと感じます。

 

有給を取得して参加しようと思えばできないことはなかったのですが、そしてこのデモの主旨は私にも十分に理解できていたわけですが、主導者の中に怪しい?人物も含まれていたので今回は参加見送りました。集まった人たちは、全国から来ていたようです。林千勝さんが日比谷野音での演説の冒頭、沖縄から来た人、北海道から来た人、海外から来た人、有休とって来た人、といちいち手を挙げさせていましたが、それぞれかなりの人数がいました。大変なことだと思います。

 

この流れは今後、小さくなっていくことは当分ないだろうなと思いました。集まった人たちはそれなりに情報も得ているし、政府のやっていることを理解しているし、それは後戻りのできない性質のものだと思うからです。そして、このような現象はある意味で不可避というか、今後のために必要なことなんだろうなとも思いました。ただ、あまりにも組織化されている。綺麗な大きいのぼりとかプラカードとかたくさん用意されていて、司会者もプロみたいで、違和感を感じます。望みすぎかもしれませんけど。

 

私が思うに、我々が戦う相手がいるとすれば、それは政府でもあるんだけれども、政府に代表されるある種のイズム。例えばデモが激しさを増せば当局の警察なり機動隊なりが抑えにかかるんでしょうけれども、その警察なり機動隊なりを成立させている上下関係とか指揮命令系統を機能させる心的構造ではないかと。上の命令だから同じ人間だけどデモ隊は潰していい、潰すのが自分の役割だと信じる「彼ら」の下っ端の心理構造がある限り、暴力を手中にした連中の優位性は揺るがないはずだからです。

 

あとへーえと思ったのは、昨日、このデモの一環かどうかわかりませんが例の創価学会の粟田晋さんが議事堂前で路上演説していて公明党を許さない、山口代表は解任だ、池田先生の遺志を継いでどこまでも追いかけてやると言っていたことです。自公は、創価学会の離反で終わるかもしれません。

 

この大きな動き(私にそう見える)をメディアは今のところ一切報じません。

 

トランプへの有罪判決は大々的に報じられています。法の秩序の勝利だなどというアメリカ人のインタビューを流している局もある。トランプ自身は不服そうな演技をしていますけど、仕込みだと思います。一説によれば、大統領経験者への有罪判決の実例を作るのが目的だったという話も。シナリオだろうなと思って見ています。