神様(造物主)は存在するのかしないのか、という議論があるとすれば、私は断然「存在する派」です。でも以前に書いた通り、証拠も出せないし、神様を見たことも、神様と話したこともありません。じゃあなぜオマエは有神論なんだと訝る人がいるでしょう。当然すぎることを説明するのは時に困難です。
譬え話をすれば、私が一人暮らしで、部屋を散らかしたまま外出し、帰宅したら片付いていたとします。となれば、誰かが部屋に入って整理してくれたんだなと思いますよね、普通。それは大家さんかもしれないし、実家の母親が突然上京してきたのかもしれない。でも、人の手が入らなければ、外出中に部屋が整頓されるなんてことはあり得ないわけです。
でも無神論者はそう考えません。いや何億回か外出していれば、自然に部屋が整頓されることもあるのだと彼らは言っている・・・ように私には見えます。
そのアナロジーで言えば、我々の身体ひとつ見ても、偶然にできるはずがないと思いませんか?今パソコンのキーボードを打っている私の10本の指。1本1本にそれを動かす筋肉が配備され、タッチを感じる神経が配線され、モニタを見る眼の機能と連動して動かされる、それだけのメカニズムが偶然の積み重ねで出来上がると言うなら、外出中に部屋が「偶然に」整理整頓されるというのとどこが違うのかと、私は思います。森羅万象そうです。この世が偶然に出来上がったというのが無神論だとするなら、そんな馬鹿げた考え方はない、が私の有神論の根本にあります。それは、人類が遍く感じて然るべきことだとさえ思います。
その神(造物主)がなぜこの世を創造したのか、そしてこの世をどこへ持っていこうとしているのか、我々に彼(彼女?)が直接、知らせてくれることはなさそうです。時々、神のお告げを授かったと自称する人間が現れますが、信じて良いかどうかという問題があります。
ただ、お告げを聞くのも良いけれど、周囲を観察することでたくさんの情報が得られることもまた確かだと思います。例えば繁殖というか生殖。単性生物はごく稀であり、動植物とわず雌雄の存在とその交わりがその種の繁殖の一般的なメカニズムとして採用されている。ということは、世の中にLGBTQの人たちが存在することは確かだけれども、それはもうお気の毒にというか、造物主の大きな設計の中ではハズレた存在なのだなと認識せざるを得なくなります。つまりLGBTQ上げは無神論だと思います。ハズレであるが故の儚さの魅力とかを否定するつもりはありませんが、少なくともそれは造物主の意図する世界の原理には入り得ない。
また宇宙論の世界では、宇宙は膨張するか縮小するかの二つに一つで、現状維持はあり得ないと言われますから、それも造物主の設計意図の中に入っているのでしょう。万物に現状維持はあり得ない。ということは、前に進むか後ろに退くかの二つに一つなのだなということです。で、メカニズム的には、拡大するとか前に進むように万物は作られているようです。そうでなければ、毎日、太陽から光が延々と地上に降り注がれていることの説明がつきません。誰が反対しようが植物は成長し、動物は健康になり、海も冷え切らないように設定されているわけです。
この問題は、2025年の世界の変化の中で、じわじわと大きく取り上げられていくことになるように思っています。