先日、7月の都知事選にはすでに20余りが立候補を表明しているようだ、と気軽に書きました。複数のメディアで見聞したからそうなんだろうと、深く考えずに引用したわけですが、その後、「選挙ドットコム」で立候補予定者一覧を見て一驚。確かに22人(本日午前8時現在)いて、そのうち11人が「NHKから国民を守る党」なんですね。そうか、そういえば立花孝志が30人立候補させるぞとか言ってたな、と思い出して彼の名前で検索したら、30人は無理そうなので15人くらいと言っている最近のニュースと、あと「石丸」という安芸高田市長から今回の都知事選に立候補したのとは「別人」で同じ苗字の人が都知事選に出るのも応援するぞと言ってます。立花氏はある意味戦略家みたい(実際にNHKは追い詰められてきた模様)だし、何か考えているのでしょう。
でも立花さん、当初は反ワクだったんだけど翻意して接種したんですよね。動画でそう言ってました。そのことから、ああ、何らかの働きかけがやっぱりあるんだろうなと感じたことを思い出します。
私は未接種、非接種です。家族も止めました。しかし周り中、接種者だらけです。勤め先は職域接種で社員9割が打ちました。家族を連れてきて打たせた人もたくさんいます。学校時代の友達も音楽の仲間も隣近所でお付き合いある人たちもほぼみんな打ちました。学生時代の恩師も何人かいますけど、みんな打ちました。あなた打ってますかと聞くと、こちらが非接種だと知られて気まずくなりそうだから直接聞くことはないにしても、それとなく非接種者同士がお互いを知ることもあります。私は家族の他に、5人ほど非接種者を「発見」しました。
人類がこれからどうなるかわかりませんが、種として生き延びるとして、大事なことはさらに生き延びることだとすれば、集団で騙されて毒を守られてしまってはいけません。今回、それを回避した人たちにはどんな共通点があるのかなと思って考えたりしています。
で、なんとなくですけど、ああこういうところかなと思われるポイントがありそうな気がしています。世間的に見て、偉い人はいません。一方で、めちゃくちゃ貧しい人もいない。言葉で言い表すのは極めて難しいのですが、誤解を恐れずに言えば、委ねない人たちだなと思います。
例えば打っちゃった偉い人を私は何人も知っています。その人たちは、既存の仕組みを疑うことなく、そこに身を委ねて最適行動して世の中の階段を登っていったわけですよね。非接種者はそこまで既存の仕組みに身を委ねない。現世の社会構造を否定もしないけれども、その仕組みに自身の身を委ねるようなことはしない。ちょっと乾いた感覚があります。
考えてそうしている感じもないんですね。今の世の中ではこれ便利だよ、こうするとうまくいくよ、これ美味しいよ、これ面白いよって、頼んでもいないのに次々と出てきます。そういうものに対して冷めているというか、否定もしないけれどものめり込むこともない、ある意味、ただ生きているみたいな。
いや、ただ生きているという表現はよくないな。別の言い方をすると、家畜感がないんです。言われた通りにすることを否定もしないが信じてはいないというような。野生が残っているというか。色々あるけど最後は自分の判断とか感性に頼るほかないと自覚しているというか。群れの中に一応いるけれども、心は1匹で生きている部分があるというか。
だから、イヤな人、友達になれそうもない人も居ますよ。同調圧力に動じないわけだから、一般的な意味で付き合いやすい人たちではないですよね。
今日は、うまく言語表現できず、中途半端に終わりました。これからの日本を考える上では大事な問題だと思うので、また機会をあらためて続きを書きたいと思います。