20231202 「認知主義」について

イスラエルの知識人ハラリの著書「サピエンス全史」は、ホモ・サピエンスネアンデルタール人らに勝り今日まで生存し得た要因をその「認知能力」に求めるものでした。認知能力とは著者によれば虚構を語る能力だと。また、虚構を共有する能力だと。吉本隆明共同幻想論中村雄二郎の共通感覚論、廣松渉の「世界の共同主観的存在構造」が日本にはあります。サピエンスぜんしのモチーフは、まあざっくり言えばそれらと同じで、「この紙切れは百ドルだ」と信じる能力が集団としてあれば、その集団は組織力を発揮できると言う議論と言えますね。共産主義にせよ資本主義にせよ、そういった共通の幻想を抱くことで社会は動いてきた。それはそうでしょう。

 

だがそれを「認知能力」と呼んだことは新しい感じがします。認知とは、認識という言葉よりも少し根源的な語感があります。

 

いま「言語の本質」という中公新書がベストセラーになっていますが、その著者の今井むつみさんは元々しっかりした学者であり専門領域は認知心理学。認知に関する専門家です。赤ちゃんはどうやって知識を獲得するのかみたいな研究を地道にやってきた人。その学派というか認知心理学のセオリーに従えば、①赤ちゃんは生得的に認知の構造を持っている。この構造に言語を当てはめて、例えば哺乳類、犬、ポチ(ある犬の名前)、と言ったツリー構造を脳内に築いていく。②外界との接触の中で、赤ちゃんの脳内には辞書のようなものができあがっていく。これをレキシコンという。レキシコンは個別バラバラな知識の群れである。③レキシコンを構造化する力というか仕組みをスキーマと呼ぶ。スキーマとは、個別の知識を因果関係、包含関係、順序関係などの関係性で結びつける能力。あるいは、こうして構築された関係性に関する知識。例えば「犬は哺乳類に含まれる」など。④一度レキシコンが構築されると、知識の吸収は加速する。猫も哺乳類、ネズミも哺乳類、というように。

 

スキーマは便利だから、人間はこれをどんどん使う。しかし、そのスキーマが「正しい」かどうかは別問題。例えば「重い物体ほど速く落ちる」というスキーマがあった。ガリレオは「羽根よりも鉄球が速く落ちるなら、その二つをくっつけたものは鉄球よりも速く落ちるのか(重さを足せばそうなる)、遅くなるのか(羽が鉄球の落下速度を減じる)」という矛盾に突き当たって苦悩することになったという例も紹介されている。

 

認知というのは、メカニズムとしては既存のスキーマを用いて現実世界を理解しようとする行動と理解されます。ところが、スキーマの限界もある。古いスキーマ(これを「素朴理論」と呼ぶそうです)に囚われると新しい認知フレームの獲得に支障をきたす。例えば幼児の数認知は自然数が基本だから、子息演算の中では割り算の理解に一番苦労することがわかっているようです。そう、「分数」という新しいレキシコン要素を取り入れたスキーマに発展しないと、割り算は習得できないからねえ。でも、教育で最も難しいのが、このスキーマ転換、つまり知識の再構築化なんだそうです。

 

ああ、いま、我々が直面しているのはこの、スキーマの再構築なんだなあ、と思いました。政府は国民福祉の向上のためにある、とかメディアは事実を報道する、といったスキーマが非常に強いから、チクワの接種率が高くなったのだろうなと。スキーマが強固な高齢者ほど接種率が高いこともありうる話だろうなと。

 

思うに、「彼ら」は認知心理学を非常によく研究しているはず。我々も勉強して武装しないと、それこそ赤子の手をひねるように、牛耳られてしまいますね。そろそろ、これまでの共同幻想をふり捨てて、次の世界のそれを獲得するように意識すべきタイミングでしょう。