高校時代に自分は野球部に所属していた。進学校だった。夏の地方大会の前に朝日新聞が取材に来た。進学校でも高校3年の夏まで野球に打ち込む部員たち、というテーマがあったようだ。面白いネタを探している雰囲気は濃厚に感じられた。進学校らしいエピソードが欲しそうだった。

 

高校生を侮ってはいけない。そういう大人の事情は敏感に察知する。自分はその時2年生だったが、3年生でまさに夏の模試などを犠牲にしながら練習に励んでいた先輩がインタビューを受けた。「受験勉強の時間はありません。だからノックのフライを追うときも頭の中では方程式を解いています」みたいな発言をした。聞いていた下級生は全員、のけぞった。そんな先輩ではないことを知り抜いていたからである。文系のくせに方程式を解いてるとか嘘言うし。

 

そうでなくても、ノックを受けている時にはフライの行方以外に考えることなどないのは常識ではないか。

 

でも朝日の記者は満足そうだった。「ノックを受けながらも頭の中で計算問題を解いている」というような紹介記事が出たのは数日後。メディアは商売だ。ウケてナンボ、という原理で動いている、ということを自分が高校生にして感得したのはそういう事情による。それも、読者は無知だという前提のもとで、嘘や空想にしても杜撰すぎる内容を活字にする。それでないと給料はもらえないのかな、とも考えた。

 

今もその延長線上でテレビや新聞を見る。ここは盛ってるな、とわかるところもある。

 

今回、新型コロナで悲惨な重篤化がたくさん生じている、亡くなった人は感染の恐れがあるから家族との最後の別れもできない、焼かれてお骨になって初めて対面できるのだ、みたいな話は本当かもしれないが、いかにもメディアが好んで報道する内容だろうな、と思って見ていた。実際、本当にそうだったらしいが。

 

でもコロナという名前だし、風邪の一種でしょ?なんでそんなに恐怖感を抱くのか、という違和感を常に持ちつつ。