今の社会は、やっぱりどう考えてもおかしい。
ワクチン打って調子悪くなった人がたくさんいるのは見ていて分かる。しかし誰も声を上げない。いや、上げてるのかもしれないけれどもそれが可視化されない。
超過死亡は空前の水準だという。実際そうだ。でも誰も声を上げない。上げているのかもしれないけれども社会的に可視化されない。
千葉5区の得票数の推移は明らかに異常だ。でも誰も声を上げない。上げているのかもしれないが可視化されない。
ジャニーズのタレントたちは社長の辱めを受けてきた。ネット上ではもう既定の事実になっている。でも誰も声を上げない。
こうなった理由についてはかなりの時間をかけて考えてきた。その結果、多分だけど、公教育が意外にでかい影響力を持っているんだなという感触を得た。
小学校低学年までは、子供は自由な発想に満ち満ちている。でも公教育の年月を重ねるにつれてどんどんバカになっていく。本人たちも苦しそうだ。何か、共感できない体制に無理やり自己を適合させていかなければならない苦しさというか。
公教育で先頭に躍り出るのは、ドグマを与えられてそれへの適応力を存分に発揮できる人たちだ。学校で良い成績を取り、良い大学に進み、大企業に就職し、あるいは官公庁に就職し、上の人の意図を汲み取ってその実現、実行に寄与すること。そんなことを破綻なく円滑に遂行できれば良いポジションにつける、一生困らない、そういう世界に私たちは生きている。
そんな連中が、コロナだワクチンだという騒ぎになった時にどう行動するかというと、「大企業のどこそこはどういう対応をしているんだ?」と部下に調べさせて職域接種するようですとの回答が得られたら、その会社に応募順位で負けるなという指示を出したり(早慶の接種率競い合いなんてのもあったな)、国の方針が出たら争ってそれに従うみたいなことしかできない。
バカの中で最高のバカが指導的立場につくという、これはどう考えても国のためにならないと思うのだがそうなっている。つい最近も、経団連会長が子育て支援の財源は消費増税でとか言ったんでしょ?もうこういう世界からは距離を置くしかないだろうね。
で、退職、起業を考え始めた。個人的な話ですみません。一定規模以上の企業に勤めていて、このようなバカの脅威から逃れることは難しい。それは自分の人生の無駄だと思い始めた。取り返しのつかない無駄。ご先祖様に申し訳が立たない。
八百屋でも魚屋でも整骨院でも、それなりに大変だし素人にはできないだろうけれども、そんな職業の方が精神的には健全なのかもと思いを巡らせている。