20230421 まともな人が糾弾される現象

プーチンの演説を動画で見たり、日本語に翻訳された文章を読んだりしてみた。極めてまともな人である。他国のリーダーと比較して遜色ないどころか、歴史を語り、哲学を語り、国際情勢を語り、英米G7の欺瞞を語り(それも、事実を挙げながら論理的に)、国民を思いやり、信仰心を尊重し、勇気を起こさせる。そんなスピーチのできる人だとよくわかる。

 

比較してはプーチンにあまりにも失礼だが、日米のトップはテロが起こると「法の支配に基づく自由で開かれた社会への挑戦」「民主主義の根幹を揺るがす許せない行為」程度のことしか言えない。

 

トランプは基本的に自分の言葉で語る。プロンプターを使用してはいるが、要所要所でアドリブというか、自分の思うことを語っていることがよくわかる。安倍は菅は岸田は1回でも自分お考えることを自分の言葉で述べたことがあるか。ああ、安倍はあった。「私が嘘をついているというならいつでも辞めますよ」というような。

 

安倍を暗殺したとされている山上氏は、統一教会の政治への侵食と、その影響力の拡大を糾弾していた。まともな人である。

 

岸田の暗殺未遂を試みたとされている木村氏は、世襲政治家が民意を反映していないこと、外国勢力に加担していること、預託金制度が一般人の立候補の壁となっており民主主義実現の妨げになっていることなどを指摘していたようだ。まともな人である。

 

自分の知っている範囲でも、まともな社会人はたくさんいる。が、政治の世界ではまともな社会人を見出すことのほうが難しい。

 

今週末の統一地方選挙でも、自分の居住地では首長さんと議会議員の投票をしないといけないんだけれども、選挙公報で経歴とか主張とかを読むと、あまりにも酷いので非常に残念だ。選択のしようがない。学歴とか職歴で判断しようとは思っていない。それ以上に重要なのは、まともな人かどうかである。例えば会計士をやってきました。無駄な支出を省きます。それしか主張することのない人がいる。これでもまともなほうである。介護の仕事に関わってきました。この町の介護を変えていきます。それだけ。でもまともなほうである。

 

そうじゃないだろう。

 

なぜ危ないワクチンを打たされる政治が行われているのか、なぜ実質所得は下がり続けているのか、なぜカルト宗教の政治侵食問題は政治で大きく取り上げられないのか。そこについて語るまともな人がなぜ多数立候補しないのか。

 

まともな人は、厳しく排除される仕組みが働いている。そして、実際に排除される様子が可視化されてきているということは、今は過度期なのかもしれない。もう少しすれば、まともな人が出ていける世の中になること、それを心から期待しつつ今回はどうしようかな。次善の選択で共産党かなあ。いずれにせよ自民公明維新だけには入れてはいけないと考えている。