20230124 忖度の相手先

マスクを外せないのはなぜか。私は、路上を歩いているときには外しています。地下鉄に乗るときにマスクをつける。なぜだろう。知らない人たちと密閉空間で一緒になるわけで、その中にはマスクをつけないなんて許せないと考える人がいる可能性があるわけで、変な奴だと思われたり、場合によったらなぜマスクしてないんだと詰め寄られたりするのがいやだから、そんな嫌な目に遭うくらいだったらしばらくの間、マスクつけとくかという判断になる。

 

オフィスに到着してもマスクはし続ける。というのは、会社の通達で社内ではマスク着用とされているから。外していると総務部か人事部か知らないけど、あの、なぜマスクつけてないんですか、と聞きに来られることがわかっている。そのときどういう説明をするか。守備よく説明できたとしても相手が納得するか。しないだろう。問題ですねということになる。これまた面倒臭いから社内ではマスク着用。オフィスを出て路上を歩き始めたら取る。

 

これを自然にやってるわけだが、皆さんどうなんだろう。我々は(というと大袈裟かもだが)何と戦っているのだろう。あるいは、何と戦っていないのだろう。

 

わかりやすいのは総務部人事部で、彼らはマスクが有用かどうか知るはずもない。ただ会社が消えたルールを守らない人に対して注意するというだけの話だ。ならばそのルールは誰が決めたのかと言えば総務部か人事部が起案して経営会議で承認されたわけだから役員が決めたものだ。役員のうちただ一人でも反対したかと言えばしてない。ならばマスクの有用性に関して専門知識を持つ役員がいるかと言えばいない。じゃ何故社内でマスク着用なのだと判断したのかというと他社がそうしているとか、政府がそれを望んでいるからというような話になるんじゃないのかね。

 

さて、以上のようなことは遍く起きていると思いますが、その忖度の相手先って誰なんでしょう。この忖度の連鎖の最終地点にいる人は誰なんでしょうか。

 

役員にしてみれば、取引先や同業他社や監督官庁との付き合いの中で、「お宅はマスク着用させてないの?勇気あるねー」とか言われることを避けたいという以上の動機はなさそうに私は思います。とにかく、マスク如きで変な会社と見られることだけは避けよう。そんな感じかな。だとすると、マスクの有用性についてはほとんど関心がなくて(何せ「マスク如き」)、あの経営者は変な人だ、世の中の流れに竿を差している。そう見られるのが怖い。タマホーム社長を見よ。ああなっていいのか。そのような考えからくる、ある種の保身。じゃあ何からの保身かといえば何なんだろう。マスコミの攻撃?社会的評価?仲間内の評価?そこなんだよなあ、本丸は。マスク如きで躓いてはいけない。それも一つの経営判断ではある。。。世の中がこれだけマスクに傾いている中で、あそこはマスクしないみたいですよという噂が広がって業績が落ちたらどうしようということだろうから。確かにね、自分で真剣に調べてマスクは不要と判断して社員にも強制せず、結果としてその真剣さを評価されればいいけど逆に悪評を立てられるリスクも大きいからね、

 

電車の場合はもうちょっとフィジカルな面がある。おまえ、なんでマスクしないんだ!と詰られるだけならまだしも、絡まれたり暴力を振るわれたりしたら困る。言葉の暴力もありますけどね。この、絡んできたり暴力を振るったりする連中の動機は何なんだろう。これもまた、もう一つの本丸。戦中の愛国婦人会はパーマをした若い女性を非国民と詰ったという。あれと同じ。こういう人たちには意地悪な本性があるのかも。それが、正義を得て生き生きとマスク警察するのかも。とすればこれは山本夏彦の描く「意地悪は死なず」の世界だな。