20221217 打つ人と打たない人の違い

ここにしばらく拘っている。

 

打つ人にも何種類かいる。

 

よくみるのは、テレビで見たコロナは怖いし、医者も打て打て言ってるし、接種権がきたからまあ打つのかな、と。まあ、ほぼ何も考えていない人たち。素直でもあり従順でもある。でも一瞬、立ち止まって考えるということをしない。

 

コロナを本当に怖がっている人たちもいる。自分だけは助かりたい、という気持ちが接種会場へと急がせる。「コロナは怖い」「ワクチンは効く」というドグマをすんなり受け入れるという意味ではこの人たちも素直であり従順だ。でもインフルエンザワクチンて効いた試しがないけどな、とか考えることはしない。つまり、やっぱり一瞬立ち止まって考えることがない。

 

次に、提示された枠組みの中で誉められたがる人たち。どうもコロナに立ち向かうという流れだ。ワクチンを進んで受けると政府からも上司からも誉められそうだ。ならばなるべく早く打とう、言われる回数だけ打とう、という。学校秀才というか。テストでいい点をとると褒められる。いい学校に受かると褒められる。だからそっちの方で頑張ろう、となってしまうタイプ。この人たちは、枠組みを信じている。信じた上で最適化行動をとるわけで、この枠組みはなんなんだ、意味あるのかとかは考えない。むしろみんながその枠組みを信じることを望む。

 

枠組みはしばしば正義として現れる。

 

戦争中にパーマをした若い女性を見ると非国民となじったおばさんたち愛国婦人会とかいうのがあったらしい。正義はこっちにある、と思うと人は残酷になる。接種者は自分達が正義だと思えるから、非接種者に対して冷たい。

 

もうちょっと聡い人は、大勢を見ている。これに乗るのが勝ち組だ、と感じればそっちに向かう。なんかアメリカからDXとかが来たぞ、次はこれだ、と感じればDXDXと騒ぎ始める。なんか欧米からカーボンニュートラルとかきたぞ、SDGsとかきたぞ、と思うとそれっとばかりに群がる。で、自分達は日本の中では進んでるんだ、という、これもまあ一種の正義を手にしたつもりになって「お前たちは遅れている」「自分達が指導してやる」という方向に持っていく。日経のセミナーなんてこんなのばっかりだ。で、ワクチンは現代化学の粋であるとか言って自ら進んで打つ。この人たちも、枠組みというか外から来るドグマに対してイノセントだね。

 

今の日本は、アメリカあたりから提示されたドグマと枠組みがガッチリとあって、それにうまく適応して国内では先人になって、遅れた人たちを指導する立場について、というような輩が上位層にいっぱいいる。ていうか、そうでないと浮上できない。それはおかしいぞとか言ったら弾かれる。だからわかっている人は口をつぐむ。

 

じゃあわかってる人はどれくらいいるのかというリトマス試験紙がワクチン接種率だった。1割。そういうこと。