20221216 後から気がついたらどうするか

もしも自分が、コロナを怖いと思い、政府や医者や厚労省は国民のことを案じて早くワクチンを打ちなさいと症例し、その準備も着々と進めてくれていた完全に善意の存在だと信じてワクチンを3回、4回、5回と打ったとしよう。(まあそんなことはあり得ないが)

 

ある日突然、一緒にワクチンを接種した家族が急死したとしよう。驚く。信じていたワクチンが原因だったなんて。でもそれ以外に理由が思い当たらない。医者に聞いても関係ないというし、役所に申し出ても因果関係は特定できないと言われる。さんざん思考を巡らせる。どう考えても、ワクチン接種直後に体調が急変して亡くなったとしか考えられない。

 

とすれば、打てと推奨した政府は何を考えていたのだろうか。ワクチンのせいじゃないですかと聞いてもあっさり否定する医者や行政機関は私たちのことを本当に考えてくれていたのだろうか。そういう疑問が芽生えてくるだろう。

 

今、動画でも多く流れるようになった接種者たちの抗議行動は、おおよそこんな流れなのではないか。

 

とすれば、打つ打たないの分岐点は最初のところにあったのか。

 

政府や医療業界、テレビラジオ新聞は「国民のことを案じて」「国民のために」「高価なワクチンを大量に購入し」「無料で摂取できる体勢を素早く整え」「リスクの多い人を最優先に」接種できるようにしてくれた。感謝しかない、と思うかどうか。

 

自分は、普段から、政府は国民のことなんて考えてないなと思っているから、鼻から信用しなかった。打った9割の人はどうなんだろう。政治家とか厚労省とかを信用していたのか?よく知らなかったのかな。

 

信用できる相手かどうかは付き合ってみないとわからないことが多い。少し生きていれば、学校も政府も金融機関もとてもじゃないが信用なんかできないとすぐにわかると思うんだがどうか。信用できるかどうかというのは、こっちの信頼に応えてくれる存在かどうか、という意味でだ。

 

信用してたのに裏切ったな、と怒る人はどんどん出てくるだろう。でも多くの人は「自分は馬鹿だった」と考えて、じーっと耐えているのではないか。もう2度と信用するものかと決意を固めた人もいると思う。そんな人から見て、今の防衛費増額、財源確保のための増税の動きはどう見えるか。これも、国民を守るためではないのだろうな、と気付ける条件は随分揃ってきたと思う。

 

ちなみにワクチン打ってもピンピンしている人は多い。これはなぜかというと、おそらく毒は一部のロットにしか入っていない。ただ、被害を受ける人が具体的に、現実的に出てくることが重要だというオペレーションなのではないか。残酷なものだ。