20221130 通り魔事件

都立大学の先生が、講義を終えて研究室に戻る途中の暗がりで暴漢に襲われ重傷を負ったという報道を今聞いた。この先生は、夏に暗殺された元首相に対して批判的であり、とりわけ今話題の宗教団体と政党との癒着に関してかなり踏み込んだ批判をしていたという。その批判が激しいので、築地に本社のある大新聞がインタビューしておきながら過激な部分をバッサリと編集して掲載し、物議を醸したこともあると知った。

 

これは一体なんなんだと考えるのが最近の癖になっているが、わかりやすく想像すれば、その宗教団体を守ろうとする勢力の行動なんだろう。

 

しかしこの都立大学の先生は、その宗教団体に批判的だったとはいうものの、連日テレビなどでその宗教団体の内情を伝え、おかしなところを指摘し続けている有名人は他にいる。じゃあなぜそれらの特に目立つ人たちではなくこの都立大の先生を標的にしたのかというと、それはまあ、あまりに目立って発言している人を直に対象にしたらまずいじゃないですかと。それよりも、目立ってはいないけれども目立っている人たちから見てもあの先生は自分達と同じスタンスだ、という程度の認識がある人を標的にして怪我させる方がスマートだ。

 

テレビで連日、解説したり批判したりしている目立った人たちは背筋が凍っただろう。

 

ネット上では、暴力で言論を封殺してはいけないというなら、元首相が暗殺された時にもそういうべきだった、反政府的な連中はちゃんと筋を通せみたいな発言も目立ってきたから、ああ、こういうところで繋がっているんだな、こうして元首相暗殺事件を暴力による言論の封殺だったというストーリーに塗り替えていくんだなと感じる。そうじゃない。あれは宗教と政治の問題であって、犯人は別に元首相の言論の内容を封殺しようとしていたのではないことは明白だ。

 

なんか、そちらの勢力がすごく頑張り出した感じがする。

 

しばらくは色々揺り戻しとかあるんだろう。しかし宗教は最後には勝てないと思う。そう思う理由は、「世界価値観調査」で日本は、日本だけは、世界の中で飛び抜けて変わった国だからだ。どの年次の調査結果を見ても、宗教が政治に介入してくることを支持するかしないかという設問に関して、ぶっちぎりで否定派が多いのが日本だから。それを世界の常識だと勘違いしてはいけない。イスラム圏やキリスト教圏をはじめとして、宗教と政治のある意味での一帯性を支持する国が実は世界の多数派なのだから。

 

どうすり替えようとしてもダメだよ。国民が一番気にするポイントが争点だから。被害者救済ではない(それも必要だが)、政教分離だ。そこが焦点。それを国民は意識的にも無意識的にも理解している。外さないと思う。