20220830 未接種の理由を反省する

ワクチンを打つことを拒んでここまできた。未接種者に対しては、同調圧力に屈しなかったということで、また危険な毒物を体内に入れなかったということで、賞賛というか妬みというかそういうものも少しずつ出てきているようなことを示唆するネット上の書き込みを見ることもある。最近のことだ。

 

実際、未接種者には接種者とくに接種回数の多い人を馬鹿にするようなところもあるようだ。そういう書き込みを見ることは多い。

 

しかしなあ。

 

つくづく考えるが、別に未接種者は偉くない。偉くないというか、接種者と考え方の回路が違うだけで、同じ原則で生きている。その原則は何かというと、自分だけ良ければ良いという考え方だ。

 

自分もそうだ。こんな怪しいもの嫌だなあ、と思ったのは自分の身体を大事にしたかったためだ。だから、大切な人を守るために接種しましょうという誘導文句には引っ掛からなかった。そうか、大事な人を守るために嫌でも接種しなくちゃと思った人もいるだろう。どっちが良い人かわからないぞ。利己心で未接種を続けている人は威張れたもんじゃないかもしれない。あんまり調子に乗らない方が良さそうである。

 

一方で、変な病気に私だけはかかりたくないと考えて我も我もと接種会場に足を運んだ人も多い。それを自分はテレビで見た。だからどっちもどっちなんだろうと思う。

 

ワクチンの中身までは知る由もなかった。それが本当に毒物であるという確証は今に至っても自分は持っていない。状況証拠から推測しているだけだ。そんな状態で、他人に「やめとけ」と言えるのかという逡巡もある。でも言ったけどね。2名。両方とも聞いてくれなかった。一人は帯状疱疹がひどくなり、一人はピンピンしている。

 

自分は利他的な人を素晴らしいと思うが、自分自身はそうじゃない。とくにいざっていう時に利己的になる。恥ずかしいけどなかなか立派な人物になるのは大変なことである。

 

とすれば、今最後の審判とかなんとかいう人もいるでしょ?これだけじゃ終わらないような気もするんだよね。立派な人を選別したい、という神様の?意図があるとすれば、ワクチン打ってませんというのはあんまり本質的な選別要素でもないような気もするよ。