皆勤賞というのがある。学校に休まず通ったら期末や年度末に校長先生から名前を呼ばれて表彰されるというやつ。実はこれ、明治20年くらいに義務教育の小学生の出席率があまりに低いために創設されたもの。当時の小学生は家の手伝いなどで忙しく、平気で学業をサボったというか家業を優先していたので出席率向上作として明治政府が考え出したらしい。
一事が万事。明治以降は全てこれだ。
江戸時代は多分、違ったんだと思う。子供が勉強していなかったとは思わない。識字率は当時も世界一だ。だがそれは政府から強制されたものではなかった。勉強したい人々がいた、それに学問を授けるインテリがいた、それが商売になった、ただそれだけのことだ。もちろん、人材は地域の柱だから公費で教育する部分もあった。藩校とかね。町民や農民まで識字率を高めた理由はしかし別のところにある。
言葉も食べ物も教育も地域性が豊かだった。自由な国だったのだろうと思う。明治以降は窮屈だ。常に競争させられ、全国平等にさせられ、方言の自由も奪われ、学校や会社への帰属を求められ、いうことを聞く人間のみ取り立てられ、少しでも標準から外れた人間は異物視される。そういう世の中を作ってきた。作ってきたのは誰かというと、日本人のふりをした朝鮮半島人の指導者たちで、その背後には英米がいた。
これは、本来の日本人と違う。絶対違うぞ。自分の祖父は明治生まれだが、その父母は江戸時代人であり口づてに自分も江戸を知っている。勤めるも自由、遊ぶも自由、ただし世間様に迷惑をかけてはいけないというくらいの緩い社会である。幕府も十分に庶民の生活を気遣い(てか一揆を恐れ)手荒な行政は慎んでいた。
似非保守という言葉が使われ始めたが、大和魂とか日本人の心とか声高に叫ぶ連中は日本人ではない。日本人はああいうことをしない。野暮である。江戸時代の感覚では。
確かに日本人は標準化させられて工業化に成功したが、まあ放っておいてもそこそこの国力向上はあったんだと思う。そこそこの軍隊も持っていたと思う。幕府の力はまだ十分にあったと思う。わざわざ大政奉還させて新政府を作ったのは、イギリスが間接支配をしたかったからだろう。
そのイギリスから引き継いで日本を間接統治しているアメリカがおかしい。アフガニスタンから撤退し、ウクライナでも出ていけない。日本から撤退する兆候もある。
さて、150年ぶりに日本人が日本人を率いる国になれる可能性が出てきたわけで、そうなると日本は穏やかな国になっていくだろうなというのが自分の期待であり展望だ。今の役所も企業も異常である。成果を出せ、金はやらん。そんな組織の集まりになった国で穏やかさなど実現すべくもないからな。