思考の転換期

男女がうまくいかなくて別れたとする。男は未練があり、女を失ったと考える。自分は不幸だ、運がないと。女はうるさい男がいなくなって別れてよかったと考えているかもしれない。しかし女も男を失っているわけで、実はよかったのかどうかわからない。長い年月経ってみれば、捨てた男が実は立派に大成していて、振った女は悪い男に捕まって不幸になっている可能性もある。

 

有能な会社員がたまたまチョンボして結構な損失を出したとする。社内の敵対勢力はここぞとばかりに追い落としをかけてその会社員を閑職につけ最終的には退社に追い込んだとする。仕掛けた側はしめしめと喜び、仕掛けられた側は運が悪かったと落ち込むかもしれない。しかし有能な会社員を失った会社は失速し、追い出された会社員が別のところに拾われて大成するという展開もあるわけだ。さて運が悪かったのはどちらでしょうか。

 

こういうことを考え出すと、運の良し悪しは単純じゃないぞと思う。

 

1980年代初頭まで興銀とか長銀は最優秀な学生しか入れない就職先だったが今はない。国立大を出て中央官庁に入れば一生安泰と思われていたが今や天下り先も絞られた。当時そういうところに就職を決めた連中はすごいなあとか運がいいなと思われたかもしれないが長い目でみればそうでもなかった。

 

日本はアメリカに負けて運が良かったと思っている人はいると思う。これがソ連だったら大変なことになっていたと。その感覚があるから欧米の言うことをなんでも聞き、欧米の真似をしてここまでやってきた。今でも日本政府は起業を学ぶために日本人をシリコンバレーに何千人も送り込むぞとか言っている。一方で世界ではG7に対して不信感を抱く国々が増え、むしろBRICSの方がまともではないか、G7の最底辺にいる日本という国はくだらないと思われている状況だ。西欧に支配されて運が良かったなと思える時期は過ぎつつあるように見える。

 

ロシアに生まれロシアに暮らす人々は、ソ連という体制のもとでは不幸だったかもしれないが、今やこの国に生まれて良かったと思い始めているのではないだろうか。

 

それは何よりも、外国の侵略勢力から指導者が自分達を守ってくれようとしている、そんな信頼感が感じられるからだ。それは、日本には、ないものだ。

 

幸い米国は日本から出て行ってくれる流れができつつあるように見える。これを見て、米国が立ち去ったら中国が侵略しに来る、困る、日本は運が悪い、と感じる人もいるだろう。でもわからないぞ。何が幸せか、よーく考えればこれからはとても良い時代が来るかもしれないぞ。