なぜ複数人体制

複数人体制は事実としてある。

 

わからないのは、①なぜそんなことをやるのかということと、②知っている人はなぜ黙っているのか(部下とか同僚とか新聞記者とか)。

 

影武者とかすり替えというのは中世近世の話かと思っていた。武田信玄の影武者とか明治天皇のすり替えという話はよく聞く。でも今は21世紀だ。続いているのが不思議である。

 

ミュージカルなんかでダブルキャストというのがある。主役を二人の役者で回しますよと。もしもの事態に備えるのかな。政治家も同じだろうか。とすれば代役にもそれなりの能力があるはずだな。

 

ある程度の政策遂行の安定性、予見性を高めるためと思えばまあわからなくもない。しかし似てる人を探してくるのも大変だろう。最近は、背格好が同じような人を用意してゴムマスクを被せるということもあるようだ。最近のゴムマスクは精緻である。汗とかかかないのかね。ムレそうだよね。中の人も大変だ。

 

偽物はお互いに偽物と知っているんだろうな。バイデンとプーチンとか。偽物同士の会話って形式的なものなんだろうか。それとも振付師が控えていて振付師同士で語り合うのだろうか。電話会談とか。

 

いつも近くで見ている部下とか新聞記者も当然気づいているだろう。皇室の場合はお付きの人が何十人もいて、おそらくみんな気づいているだろう。というか一味か。

 

こうなってくると公人というのは、ある演劇集団が一座として回しているものであるというイメージが膨らんでくる。

 

いいですよ、別に。一般国民は一座の演劇を見ている。

 

問題は振付師だろうな、そうなると。

 

今回の阿部暗殺で、どうもカルトが振り付け側にいるんじゃないかという疑惑が出てきたことは恐ろしいし、大きいな。もっと情報が出てくると思うし、選挙ではよーく考えないといけない。自分が投票しようとしている候補者は本人か、と。