要人の暗殺とは

いろんな見方があるんだろうなと思わされる。

 

プーチンは初期と明らかに顔が違うでしょ。バイデンもそう。習近平にも金正恩にもそういう疑惑がある。今回の事件で亡くなった元総理にも昔と耳の形が違うとかいろんな指摘があった。

 

戦国時代には影武者というのがいて、有力武将が亡くなってもその事実は伏せられ、当該勢力の結束は維持されたという。今の世界政治もそういう意味では5百年前と変わらないのだろうなと想像させられる。

 

本物の安倍晋三がいつまで生きていて、最近まで活動していたのが一体誰なのかは議論しても意味がない。真相はごく少数の人しか知らないし、それが明かされる可能性も小さいのではないか。今のプーチンは初期と顔が違うではないか、別人だろうと指摘しても誰も真面目に取り合わないだろうこととそれは同じだ。

 

不思議だが、プーチンもバイデンは別人だろうという指摘をしない。逆にバイデンもプーチンお前は替え玉だなという指摘をしない。ということは、そういうルールで動いているんだな。生物としての個体プーチンはどうでもよくて、社会的機能、政治的機能としてのプーチンがいる。それは政敵であっても指摘してはならない、そんなルールがあるようだ。

 

なぜそんなルールがあるのかも、詮索しても意味がない。ていうか、真実が明かされる可能性は低い。

 

大事なことは、安倍晋三という政治的機能が抹消されたということだな。それが必要なら、一命を取り留めましたといういう報道をすることは可能だったはずだ。どうせ影武者は何人もいるんだろうし。それがなされなかった。各国首脳も次々とお悔やみのコメントを発した。だから、安倍晋三という屋号というか役割の、政治的なあるいは社会的な機能はもう不要だとされたのだ。

 

不思議だよなあ、世界政治というものは。トランプだって、よーく見ると若い頃とはずいぶん違う容貌をしている。まあ、老けてこうなったということかもしれないが、実態は操り人形という可能性だってあると思うぞ。

 

さて安倍晋三という機能がなくなったことで変化はどこに現れるか。今のところ、ある種の政教分離に関するタブーが解禁される方向だ。これは結構大きいかもしれない。ということは、やっぱりアメリカ支配の終わりに向けた1ステップだったということかもしれない。