ハリウッドの映画がいつの間にか「地球最後の日」だらけになって、あまりにもつまらないから映画を見ることがなくなった、という個人的な経緯がある。
何が言いたいかというと、ワンパターンだなあと思うことがもう一つ出てきたのだ。今回の事件。ああまたか、という空気は日本中で感じる。これ、いつものやつだよね、と。京王線がわかりやすいよね。犯人の容貌からして似ている。報道の仕方も似ている。配役も同じ。演技が下手なところも同じ。そもそも脚本の発想も同じ。遡っていくと911も同じ。ひょっとすると311も同じ。イラク戦争も同じ。1月6日の件も同じ。コロナも同じ。ブチャの虐殺も同じ。さらに言えば海の王子の件も同じ。
多くの人が「これは酷い、許せない」と思うような事象を起こして、煽って、何かを進めようとする意図でしか脚本が書けない。脚本家やそれを使う体制が劣化してるんだろうなと思う。手詰まり感は当人たちも感じているだろうし、効き目も小さくなっていることだろう。
タネが丸見えになってきた手品。
そこでますますわかりにくいシチュエーションを演出するが、根本的な発想がワンパターンだから謎解きは簡単だ。ああ、こうやって世の中を動かそうとしてるのね、という目で見られたら結局のところ騙し切れるものではない。
一方で、いいニュースというか誰かを称賛するようなニュースっていうのも操作的に使われている。ノーベル平和賞を誰に与えるか、ああこういう人が賞賛されるのねという感覚を世界中に植え付けようとしている。それもまた、環境問題とか人権問題とかある種の政治的傾向を推進するための手品だと思えば大体解釈できるようになっている。
こんな白けたものの見方ができるようになってしまったのは、ネットのおかげだ。一般庶民を馬鹿にしてはいけない。手品のカラクリを一瞬で見抜いてしまう人が大勢いる。その人の発信で気づいてしまう人が大勢いる。自分もその一人だと思っている。これはもう、言論統制するしか止める方法はない。
まだやるだろう。バーンと衝撃的な事件を持ってきて、ある方向に大衆の思考を向ける操作を。やればやるほど見抜かれて効き目が失われていく悪循環(彼らにとって)はすでに始まっていると思われる。
今日の選挙結果は、その中間評価になるのかもしれない。