今回のワクチンで亡くなったり後遺症が残ったりした人たちは、何がいけなかったのだろうと考えざるを得ない。

 

何がいけなかったのか。

 

誤解を恐れずに書けば一つは政府を信じたことだ。ここから先は想像だが、政治を信じている人は少ないと思う。信じるとすれば行政機関に違いない。行政は信じられると思っている人は多いのではないか。多かった、というべきか。

 

気の利いた人は全く反対だったりする。政府行政は信じられないと。そういう人たちは銀行さえ使わず自宅に現金を隠し持っていたりする。

 

政府行政を心底から信じることをしない精神は健全だと思う。そういう意味では健全な人が未接種を維持している。

 

同調圧力に負けたというのも聞いたな。職場でなぜ打たないかと詰め寄られるなど。その勤め先を辞めればいいだけのことなのだが。そういう考え方には行かないらしい。隣近所からあの人打ってないのよと言われ続けるのも辛いだろう。人付き合いにも影響する。

 

自分の周囲で真っ先に接種した人たちには、電車で駆け込み乗車する人たちのような雰囲気があった。恐怖心からなのか、生存本能がモロに露呈してしまうような動作。こういうタイプも、引っかかりやすいというか。

 

しかしまあ、この20年、消費税を上げ続け学校や公立病院の予算を削り、医療費の負担率を上げ、オリンピックでは中抜き業者に儲けさせてきた政府行政が、ことワクチンに限っては全国民分をタダで用意するから打て打てというのは、やっぱりなんか変だなと感じるところがないといけない。国民がワクチンを供給しろと言っても財務省の反対で予算がつきません、というなら整合性がある。しかも病床をコロナ用に空けた病院には補助金、接種に協力した医者には奨励金、大規模接種会場には自衛隊、零下70度のワクチン輸送体制も即時に構築するという働きぶりである。何かおかしい、と普通は思うでしょ。

 

何がいけなかったのか。

 

それは今からよーく考えておく必要がある。自分だって罷り間違えば接種していた。接種していたら、その後の情報に接して怖くて仕方がなくなっただろう。今そういう意味では心に余裕があるのも昨年の米大統領選挙のおかげだ。政府も選挙も信用できない、とあれで確信したから。