できることを探す。

 

想像される構造はこうだ。見えない支配者とも言うべき存在がある。彼らは意のままに各国首脳を動かすことができる。メディアも製薬会社も意のままだ。選挙では不正が行われ我々の投票した人物が国政や地方政治の場に出られない。そんな中で、毒のような注射を強要され、従わない者は処罰される。そういう世界に向かっている。

 

薬害裁判を起こす人たちがいる。政党を結成しようとする人たちも出てきた。ワクチン強制に反対するデモも起きた。東京で先週末、参加800人だという。これらの人々の意見発信や連綴のツールがSNSだ。現在の社会ルールの中で、異議を唱える営みだ。

 

真っ当だと思う。

 

この大きな動き、新しい対立軸の形成というか、それをメディアは報じない。メディアを信じる多くの人は、これらの抵抗の動きを胡散臭いものとして見ている。

 

流れとしては、この抵抗は徐々に大きくなっている。他国では既に臨界点を超えつつあるところもあるようだ。暴動に近いデモの画像がネット上で見られる。

 

自分は心情的にはもちろん抵抗派である。しかし上記の動きには参加していない。参加したい気持ちはもちろんある。ならなぜデモに行かないのか。

 

考えてしまうな。なぜだろう。ものぐさなのか。危機感がまだ足りないのか。本当のところは臆病で根性がないのか。

 

家族が全員デモに参加すると言ったら行くだろうな。

 

ワクチンは打たない。それは最低限。打ちそうな人には一応、止める。今まで十人くらいにやめとけと言って、二人が打った。そのうち一人は急に癌になって手術だ。関係はあると思う。

 

できること、やってきたことはそんなものだ。敵は大きいぞ。デモや政党、正しいと思う。やるか。いや、もっと他にないのか。