世界はフラクタルだという仮説を強く信じたいと思っている。

 

我々が技術的に進歩すれば、我々の下位の次元に仮想世界を作るだろう、とイーロン・マスクも言っている。技術が無限に進歩するなら必ずそうなる。ならば我々の住むこの世界も、上位次元の者たちが作った仮想世界だと言って何がおかしいのか、と。

 

そんな世界の入れ子構造があるなら、我々には上位次元があることを認めなければならない。それがまず一点。

 

もう一つは、何度も書いたが自分自身がマンデラエフェクトを体験して、この世はどうもデータらしい、と感じたこと。この2点(フラクタルの理論と、マンデラエフェクトの体験)は自分に対して「このようは上位世界の者たちが作った幻である」という感覚を埋め込んだ。

 

そういう構図理解の上での現実解釈である。今起きていることはかなり非道い。大して怖くもない病気を大袈裟に騒いで、子供や妊婦にまで怪しげな液体を注入することに政府が躍起になっている。これは上位次元から見たときに何なのか、ということだ。

 

フラクタル世界には何故か自律性を付与しているらしい。上位次元の者がその世界の神となって好き勝手には動か巣ことはできず、プレイヤーというかキャラクターかな?フラクタル世界の生き物たちに何らかのサインを送ることしか許されていないようだ。

 

じゃどういう意図を持ってサインを送るのかというと、まともに考えてこの世界を破滅させることが目的にはならないような気がするのだ。これがゲームだとすれば、難所をクリアして次のステージに、というようなイメージに思えて仕方がない。

 

だからと言って我々が現世世界の上位のフラクタルに移行できるかといえばそれに対して自分は少し懐疑的である。この地球上がより良いステージになる、というストーリーの方が腑に落ちる。

 

ステージクリアのための何らかのハードル超えをやっているのだろうな、という感覚はある。そういう目で今起きていることを受け止めようとしている。

 

最悪の場合、変な液体を体内に入れた8千万人が日本から消える。人口は4千万人に減る?大変だ、三分の一になってしまうということだが、江戸時代は3千万人で豊かで平和で安定していた。そこそこの軍事力もあった。エコだった。暮らそうと思えば暮らせるのだ。

 

そう考えると、明治以来の近代化ってなんだったんだろう、という思いが深まる。