支配層が除去されるとは、世界が見える化されることだという。

 

確かに、世界は不透明だ。目の前の現実について言えば、なぜ今の首相が首相に選ばれたのか、誰が選んだのか、説明できる人はいるだろうか?

 

昨年の大統領選は、少し透明度が高かった。なぜ今の大統領が大腸寮に選ばれたのかというと、開票作業で不正を行なったからだ。そこまでは見えた。しかし、誰が選んだのかまで透明になったわけではない。なんとなく、金融業界の偉い人たちだとか、中国共産党だとかが絡んでいそうなのだな、というところまでは推測できる情報が出てきて終わりだ。あと、宗教界特にカトリックは色々闇がありそうだな、ということも推測されるようになってきた。

 

こんなことは、未だかつてなかった。確かに、未来を覗く機械は大筋、正しいことを言っているのかもしれない。

 

オリンピックが利権の塊で、そこから中抜きしようとしている連中がたくさんいるということもわかった。その連中の多くは日本の伝統的な感性を持ち合わせていないことから、どうやら外国人勢力だな、ということも感じられてきた。

 

多分、この先もさらに多くの情報が出てくるのだろう。そして支配層が何をやっているのか、多くの人が知ることになるのだろう。

 

しかし、その先である。支配層が除去される未来というのは、情報が行き渡り、「何か」が起こるプロセスを経なければ実現しないのではないか。革命とか。

 

フラクタル世界論からすれば、この流れは必然に思われる。我々は、いずれ下位のフラクタル世界を創るに決まっている。その時の設計チームは、宇宙や生物、鉱物や知能、その他のあらゆる分野の最高度の知性の集合体でなければならない。そして、邪悪ではない考え方のもとで設計作業がなされなければならない。

 

とすれば、現在の支配層は当然、除去されなければならないはずだ。ゲームのゴールは次のフラクタル世界を我々が生み出すところにあるのではないかという前提で論じてみた。