人を率いるとそれに相応しい存在感が身に付いてくることがある。必ずしも全例でないことには注意。

 

派閥の長にはそれなりの迫力があった。面倒臭い議員連中をまとめるのだからさぞや大変だっただろう。

 

そういう人の群の中から、国を背負う人が選ばれていた、というのは今考えても合理的だと思う。少なくとも、日本人の感覚には合っている。ボスのボスが大ボスになる。大ボスは、多分まとめ屋としての力量が桁外れになるのだ。自己利益だけ追求するような人は、まずその手前でボスになることも難しいだろう。

 

大ボスとして然るべき役割を果たしているなら、多少教養がなくても、下品でも、背が低くても醜男でも、オーラは出るし一目置かれるものである。ある意味で尊敬もされる。

 

そう考えながら自民党総裁選候補を見る。

 

む。

 

むむ。

 

むむむ。

 

 

違うな。何か、ずいぶん違う。この人たちは、てっぺんに位置する部類の人種とは全然違う。面倒を見る、という感覚が伝わってこない。

 

こういうことは、どんなに隠しても匂いというか雰囲気でわかってしまうものである。それぞれ、誰かあるいは何かが上というか裏にいる。そういう人たちだ。てっぺんの人が絶対にやってはいけないこと(それは階段を上がる過程で身につく)を日常的にやっている人たちだということがすぐわかる。

 

それはなんであるかを言語化するのは難しいのだが、誤解を恐れずに表現すれば「懐」とでも言えようか。それがないと、まず下がついてこない。包み込むようなものだ。それがないのは、何か強力な者の下で、必死に階段を上がろうとしている、自分のことしか考えていないタイプに共通する特徴である。