この世界がどのように統治されてきたかは、かなり見えてきた。

 

あくまで構成要素は知的生命体だから(自然環境が実は意識を持っているかどうかはわからないので横に置く)、個人と社会の関係性が設計のキモになる。

 

この世界では個人の利己主義を認めている。個人の利己主義を軸として、あるいは前提として社会を組み立てる設計思想である。社会設計では支配・被支配の関係性を認めている。個人の利己主義を認め、社会での支配・被支配関係を認めると、最上位に立つ個体が支配・被支配関係を通じて利己主義を社会化する展開となる。

 

それで、一応社会は治まる。

 

が、支配層が自己利益の追求をやめない限り、この社会はいずれ崩壊する。その過程が今、目の前で起きている。ドライバーは技術の進歩だ。仮想世界をクリエイトできる技術を手にする前に、社会の崩壊を防げるのか、というテストがあるのだ、と考えても良い。

 

ここをクリアできなければ、我々は振り出しに戻る。次の世界をクリエイトする権利を与えられない。AIの技術的進歩が残り時間を決める。仮想世界を作れる技術的水準に達する前に、我々は次なる世界の設計思想を「正しく」身につけないといけない。これこそが、人類延命の条件だろう。

 

 

もはやSFだな。

 

しかし、ここで書いていることは、自分が体感した様々な事象を、一応、矛盾なく説明できるロジックにはなっていると思うのだ。