直観だがワクチンがアセンションの選抜手段だとは自分は思わない。

 

少なくともスピリチュアル系の人々が言うように、徳の高い人が次元を上げられるとの理屈が正しいのなら、ワクチンは選別手段として適切とは思われない。

 

アセンションなんていう馬鹿なことを言うな、と主張する論者もいる。この世は目の前の現実が全てだ、違った次元なんぞに行けるものか。でもこれはわからない。自分も、マンデラエフェクトで心臓が左胸から胸中央に移動してことを知って、次元というのか何か知らないが世界の変換はあると確信している。

 

確信している、とか偉そうに書いたが、自分はそれを体験して、世界はデータだ、幻だと知ったのである。この世の全ては、いつでも転換可能なデータセットにすぎない。今では本当にそう信じている。

 

このことは、後で知ったが哲学的にはすでに論じ尽くされているようだ。ニック・ボストロム@オックスフォード大学。イーロン・マスクも同じ考えらしい。

 

我々のこの世界は、誰か上位の次元にいる存在からすればシムシティなのだ。シムシティに住む人々(?)に「意識」を持たせているところがミソであり、それがどういう展開をもたらすかというといずれシムシティの住民がシムシティを作り始めるのである。今デジタルツインとか言ってるものが、いずれ仮想世界になっていく。我々の世界で電力が供給され続ける限り、技術的には進歩するしかないわけで、どんどん現実(我々の住んでいる世界という意味での現実)に近い仮想世界が発展し精緻化し、我々の世界のコピーともいうべき自律的な小世界を作るに決まっている。百年後とは言わない。千年後かもしれない。過去一千年の技術進化を考えれば、今後一千年の間にシムシティの自律版を我々の子孫が作り出さないと誰が言えるだろう。

 

そう考えると、我々の世界が上位世界で作られたシムシティであるという考え方には極めて十分な説得力があるのだ。

 

こういう議論を取り上げるボストロム、彼を雇うオックスフォード、その内容をまともに受け止めるイーロン・マスク。いずれも、なかなかのものだと言わざるを得ない。日本でこんなこと言ったら、東大京大は教授にしないでしょ。

 

何が言いたかったかというと、アセンションがあるとしても、上位次元に上がるという話ではないのではないか。我々は所詮、シムシティをプレイしている上位世界の人たちにとってみればデータである。彼らが我々であると仮定して考えると、ゲームの途中でゲーム盤の中の「地主」みたいな層が暴走し始めたのでそれを適度に抑えて次のフェーズに円滑に移行するにはどうするか、程度の問題ではないのかと思ったりするのである。